二十一世紀初頭のアンデパンダン展のための檄文 |
ジョルジュ・スーラ、ポール・シニャックらによってアンデパンダン展が始められた一八八四年とは、世界は様変わりである。当時はサロンの審査員達によるアバンギャルドな作品の出展拒否が問題となっていたのだが、いま世界は、米国のサブプライムローン問題に端を発する、百年に一度という経済危機の只中にある。日本への影響は出始めたばかりだが、昨年第四半期の実質GDPは年率換算で前年比12.7%減少という惨状だ。それでも日本は世界の中では影響がもっとも軽い方で、欧米経済の悲惨は言うまでもない。
オリンピック選手でさえ企業からの支援を打ち切られるほどの不況の中で、美術界が活動を続けていくためには、昭和恐慌、証券不況、平成金融危機などの経験が役立つだろう。対応策はリストラ。日本も前回の不況では、百貨店美術館が軒並み閉鎖し、企画画廊の多くが不活発化ないし展示スペースを一時閉鎖、助成金の削減・打切りが当たり前となった。この動きを受けたアーティスト側の対応策がアーティスト・イニシアティブ(自主活動)であり、公共や企業、商業画廊に頼らない活動スタイルの推進であった。
そこではもはや、企業の、公共の受け入れるもののみを展示する、ということでなくてよい。画廊で売れるものを作って媚びる必要もない。サロンの保守的な審査を気にしたり憤ったりすることもない。自分が額に汗して稼いだお金で作り、展示する作品であるから、胸を張って飾ればよい。だからこそ、各人のやりたいことが存分にでき、前衛性が守られる。現下の危機さえもまたひとつの機会として捉え、しぶとく生き抜くのみならず、却って良い仕事をしていこうではないか。
このような論拠から、我々は世界的経済危機の渦中において、時代はアンデパンダン展を欲しているものと思料し、同志とともにここに組織していくものである。
平成二十一年三月吉日
東京アンデパンダン展 発起人
深瀬鋭一郎 (深瀬記念視覚芸術保存基金 代表)